プロフィールも4章までやってきました。
お読みいただきありがとうございます^^
さて、不妊・不育を乗り越え出産したものの、そこからの道もまた険しいものでした。
思い出すだけでも大変な、フルタイムワーママ時代のお話をしたいと思います。
この経験がきっかけで、私は在宅ワークへの道を本格的に考えるようになります。
スーパーワーママを目指してみたものの・・・
いよいよワーママとして復職するにあたって、夫を頼れないことはわかっていました。
なにせ彼は、朝は7時には家を出て、帰宅するのは22時過ぎ。
平日は子供と顔を合わせることすら全くないほど、仕事漬けの日々を送っていたのです。
そのため、おのずと私の目標は「目指せ!スーパーワーママ!」でした。
今思えば無謀でしかないのですが、仕事も育児も完璧に回してみせる!やればできる!一人でもできる!と思って息巻いていたのです。
・・・が、実際は。。。
- 子供への口癖は「早くして!」
- お昼ご飯を食べる暇もないほどの激務
- それでも産前のように仕事ができなくて、消化不良
- 仕事が気がかりで、家でもずっとイライライラ
- 食事の支度をしたくても、子供がまとわりついて一切できない
- そんな子供に八つ当たりして、深く自己嫌悪
- 無理して21時には寝かせようとするあまり、子供とゆっくり話すこともしない
もう、思い出しても泣きそうです。
今ならもう少しうまくやれると思います。
実際、二人目はこんなに辛くなかったので、初めての育児のくせに完璧を目指してテンパっていたんだと思います。
時短で働いていたのですが、職場からは「1人分としてみなすから(=仕事量は減らさない)」と言われていましたし、私自身も「迷惑かけちゃいけない!!!」と強く思っていました。
(↑でもこれよく考えたら変なんですよね…。だって時短だから給料下がってるんですよ。営業として出してる成果は変わらなかったのに、給料下がってるっていう…。)
とにかく、子供がいるからって職場に迷惑かけるのはよくない(産前と全く同じ成果を上げてナンボ)と私自身も思っていたので、無理をしまくりました。
効率を上げて何とか(最低限の)成果は出していましたが、自転車操業の毎日で余裕は全くありません。
そしてそこまで頑張っても、職場の人にかける迷惑(?)をゼロにはできませんでした。
そんな状況にもストレスは溜まります。
しかも無理をした反動は、家庭に帰ってくるのです。
家庭でも常にイライラ・・・自己嫌悪の毎日
仕事で疲れ果て、走りながら保育園に迎えに行き、嬉しそうな子どもの顔に癒されつつも、出てくる言葉は、
「早く帰るよ!急いで!」
・・・いや、鬼か。
まだ1~2歳の子供に向かってですよ?酷い母親だったと思います…(ホント、娘ごめん…)。
「21時には寝かせなくては!」と強く思っていたので、家庭でも常に時間を気にして、ピリピリムードです。
まだお友達と遊びたい娘に、般若のような形相で「いいから帰るよ!!!」と何度怒鳴ったかしれません…。(思い出しただけで泣きそう…ホント、娘ごめん…。)
「家事は手抜きしてもいいから、子供との時間を大切に!」
という知識はありましたが、「どうやって!?」としか思いませんでした。
家事は手抜きしていましたが、それでも子供にご飯を食べさせないわけにはいきません。
うまくできずにイライラして子供にあたって、その後死にたくなるくらいの自己嫌悪に陥ったことも数知れずです。
朝から晩まで全く余裕のない日々でした。
子供にも、職場にも、「申し訳ない」という気持ちを抱えながら、過ごしていました。
そんな我が家の状況を尻目に、よそでは「お父さん」が育児にしっかり関わっている家庭が多いことにも気が付きました。
朝だけでも父親が保育園の送迎をしたり、子供の行事に積極的に参加したり…。
娘の通う保育園では、夫婦で協力して子育てしているご家庭が多かったように思います。
一度ママ友に、「子供が泣くから食事の支度ができない…」と言ったら、うちはパパが見てくれてるからなぁと言われて、かなりの衝撃を受けました。
そんな話を聞いているうちに、当然私の怒り(イライラ)は夫にも向かいます…。
ついに離婚一歩手前の状況へ・・・
家事や育児の負担が私にくることは、はなからわかってはいました。
もともと家事は全くできない人でしたし、仕事が忙しいのも知っていたからです。
私の方が稼ぎが少ない分、負担が多いのは仕方ないとも思っていました。
しかし、ですよ。
家事はともかく育児は二人で負うべきものです。少なくとも、何とかするよう努力するべきですよね?
ですが夫は、「大変だね(←超他人事風)」「仕事が忙しいから、(子供の面倒見るのは)俺は無理」「実家にお願いしたら?」「そんなに無理ならベビーシッター頼めば?」です。
私は、結果的にできないのは仕方がないとしても、ただ、自分事のように一緒に悩んで欲しかったのですが、そんな思いは全く理解できないようでした。
夫は夫で仕事が激務のため、疲れてイライラしていましたが、私にしてみれば、
「仕事しかしてないくせに!仕事に全力投球できるくせに!」
としか思いませんでした。
次第に家庭内の雰囲気は最悪になり、顔を合わせるのも嫌で「離婚」の文字が何度も頭をよぎるように…。
そんな思いが爆発して大喧嘩になった際、夫も私も喉元まで「離婚」の言葉が出かかっているのが、手に取るように理解できました。
それでも「離婚」の言葉を口にすれば、夫の性格上、例え自分が悪いとわかっていても、絶対に離婚に踏み切ることはわかっていました。
しかし夫は、子供のことはとても可愛がっていたのです。
たまの休みで疲れ果てていても、できる限り子供と関わろうとしていたのはわかっていました。
また、「暴力なし」「ギャンブルなし」「浮気なし」「子供可愛がっている」という要素を考えると、娘のためにもそう簡単に離婚には踏み切れません。
離婚してもワンオペには違いないから、だったらもう夫には期待せず、せめて経済的に安定する方が良いのでは?と思いました。
そこで私は、「とりあえず今は」「娘のために」我慢しようと決めたのです。
私さえ諦めてしまえば、夫は稼いできてくれるだけでいいと割り切れば、我慢できると思いました。
よく先輩ママに「諦めたら楽になる」と聞いていて、そんなの嫌だなぁ~と思っていたのですが、まさにそのアドバイス通りに実行することにして、とにかく心穏やかになる方法を選びました。
しかしこれが、結果的に大正解だったのです。
私の態度が穏やかになったせいか、夫の態度も和らぎ、ちゃんと話ができるように。
当時彼はあり得ないほどの激務で、本当にかなり、かなり、かな~り大変だったことを、具体的に話を聞いて理解できました。
(↑今思えば、確かに休みが月に1回(しかも半日)だけとかそんなレベル。休みが取れないことも全て夫のせいだと思ってたので、私も全く冷静じゃなかった…。)
多分ちょっと鬱になりかけていたように思います。
そして彼は彼で、イライラしている私に話をしても無駄だと思っていたので(結果的に育児の時間は取れないから)、話しもしなかったようです。
夫の話を聞き、「それは・・・無理だわ」と心から同情し、それでも家族のために会社を辞めようとはしなかった彼は、彼なりに家族を大事にしているということも分かりました。
お互いあまりにも余裕をなくして周りが見えなくなっていましたが、少し冷静になると、全く違う側面が見えてきたのです。
そうして離婚一歩手前までいった私たちですが、今ではその時のことが笑い話にさえなっています。
夫は、「あの時は、自分が悪かったのはわかってる」そうですよ(笑)。
正直、夫の激務は相変わらずです。
でも、娘が熱を出して保育園を休まなければという時に、初めて「明日の予定確認してみる!」と言ってくれた時には、かなり感激しました。
こうして私たちは離婚危機を乗り越え、二人目を授かることができたのです。
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ちいくんプロフィール5章~正社員から在宅ワーママへ