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ちいくんプロフィール3章~不妊・不育を乗り越え、待望の第一子誕生へ

ちいくんの詳細プロフィール第3章です!ご覧いただきありがとうございます^^

さて、前回は正社員での勤務を経て結婚し、契約社員や派遣社員として働いていた過去についてお話させていただきました。

結局夫の転勤地では、4年ほど暮らしていました。

様々な苦労もありましたが、職について深く考えるきっかけになったことは間違いありません。

さて続いては、地元に戻ってきてからのお話をさせていただこうと思います。

もう少しお付き合いくださいませ^^

正社員に復活!そして念願の妊娠をするも・・・

地元に帰った私は、仕事をどうするのかとても悩みました。

というのも、子供を希望してから3年を過ぎても、まだ子宝に恵まれなかったからです。

子供を希望してから1年後に自然に妊娠しましたが、かなりの初期の段階で残念ながら流産という結果に…。

そしてそれから2年以上経過しても、妊娠できませんでした。

当時三十代前半という年齢を考えても、そろそろ病院に通うことを考えていたのです。

そんな中、もし就職できてもすぐに妊娠ともなれば、職場に迷惑が掛かるのは間違いありません。

かといって、妊娠を先延ばしにするような時間的な猶予も、またなかったのです。

そんな時に、かつて広告営業として働いていた会社の上司に、偶然再会しました(本当に、道端でばったり、という感じ)。

そして、ちょうど繁忙期にさしかかる時期に退職する社員がおり、今すぐ働ける即戦力を求めていたその上司に、復職を打診されました。

とても有難いお話だったのですが、子供を希望しているのですぐに妊娠する可能性があることを伝えたところ、

「とりあえず3ヶ月乗り切れればいいから!すぐに妊娠してもいいから!産休も取れるよ!」

との言葉に後押しされ、広告営業として復職することにしました。

激務なことは承知していましたが、何より妊娠が障害にならないとの言葉に救われたのです。

そうして以前ほどではないものの、また忙しい仕事に追われる日々が始まりました。

しかし復職したかつての職場は、以前の雰囲気とは全く異なっており、まるで違う会社のようでした。

というのも、その頃には既に紙媒体の勢いは落ち、業界的にもかなり厳しい状況でした。

そんな中、会社の体制やメディアの内容はそのままです。

結果、社員のマンパワーで乗り切るしかなく、みんなが疲弊して不満を持っているように思えました。

以前あったチーム感は失われ、個々人ごとに踏ん張っているような状況です。

そんな違和感を感じつつも、どうにか激務をこなす中、なんとまさかの自然妊娠!!

・・・しかし喜びもつかの間、またしても流産してしまったのです。

妊娠初期の流産は、生物学的な原因が多いため、激務の仕事が原因とは思いませんでしたが、やはりショックでした。

流産の処置のため手術をしなければならなかったのですが、繁忙期だったため、休みを取ることも躊躇しました。

繁忙期を乗り切るのが雇われている条件のような気がしていたので、頑張らないわけにはいきません。

結局土日で手術し、月曜日にはボロボロの体で出社して仕事をしました。

当然上司にも報告しましたが、

「それは大変だったねー。で、仕事はちゃんとできるの?

と、仕事の進捗にしか関心がない様子。

「繁忙期を乗り切るのが条件だったし、仕方ないか・・・」

と思いながら、心身ともにボロボロの状態で繁忙期を無事終了しました。

責任を果たせた安堵感はありましたが、とにかく疲れていて、特に充実した気持ちにはなれなかったことを覚えています。

妊娠しても出産できないのかも…不育との戦い

この時の妊娠の経緯ですが、自然妊娠ではあるものの、不妊専門の病院で検査をしたのが功を奏したものでした。

私たち夫婦には、特に明確な不妊の原因はなかったため、体外受精などのいわゆる不妊治療はしませんでした。

しかしどうやら検査を受けるだけでも妊娠しやすくなることがあるらしく、この妊娠に繋がったわけです。

しかし次なる問題は、流産が続いたこと

一度目の妊娠・流産から、数年ぶりに妊娠、またしても流産。

そして実は、その半年後くらいにまた妊娠したのですが、その子も流産してしまったのです。

実は妊娠初期での流産の確率は割と高く、15~20%もあります。

しかし、これが2回続く確率は4%程度、3回連続となると0.8%程度しかありません。

そのため数回流産が続くと、不育(妊娠してもお腹の中で赤ちゃんが育たない状態)の可能性が高くなります。

おそらく私は不育なんだ・・・と思った時、もう子供を産むのは無理かもしれないと感じました。

妊娠できないのもすごく辛かったです。毎月生理が来ては落ち込む日々…。

どうして妊娠できないんだろう?何が悪いんだろう?と何度も考えました。

しかし、不妊歴が2~3年くらいだったので、まだ絶望の気持ちにはならなかったのです。

しかし不育は、

「せっかくお腹に赤ちゃんが来てくれたのに、自分に欠陥があるから育たない…」

「働いていたからダメだったのかな…」

と、完全に自分のせいだと思いました。

不妊は夫婦のどちらかの問題かもしれないけど、不育に関しては自分の責任のように思ったのです。

実際はそんなことはありません。

不育は、特に原因がわからないことも多いですし、夫の染色体異常などが原因の場合もあります。

そしてもう妊娠するのも怖くなり、夫婦で話し合った結果、しばらく妊活をやめることにしました。

それまで毎朝測っていた基礎体温をやめ、妊娠してたら危険だからと躊躇していた旅行にも行くようになりました。

夫婦2人で生きていく人生も悪くないと、半ば開き直った時に、4度目の妊娠をしました。

諦めかけたときに自然に妊娠するのは、妊活あるあるのようですが、私たちもまさにその通りでした。

そしてなぜか、その子を妊娠したときに「いける!」と思ったのを覚えています。

初めて心臓の鼓動を確認できた時は、号泣しました。

そうして3度の流産を乗り越え、35歳の時に無事に出産した女の子は、今はとっても元気な小学生になっています。

怒涛の産前・産後の日々!子供は可愛いけど、復職に焦る日々

4度目の妊娠で安定期を迎えたころ、上司に報告しました。

すると反応は、

「本当に妊娠しちゃったの!?(はぁ←溜息)」

でした…。

うすうす気がついてはいましたが、やはり妊娠は全く歓迎されませんでした。

「妊娠してもいいって言ったじゃん…」

「流産しても必死で繁忙期乗り切ったのに…」

とは思いましたが、会社側にしてみたらそんなものかとも思いました。

迷惑をかけるのは間違いありませんし、産休・育休を貰えるだけ有難かったからです。

そして、

「・・・すみません。」

と、(謎の)謝罪をしました。

その後は、臨月まで倒れそうになりながら働き、そのまま産休へ。

産休から出産までの1ヶ月弱は、人生最高のお休み期間だったかもしれません(笑)。

そうして、

予定日から1週間ほど過ぎた頃、夜中に破水。

その後、なんと40時間以上もかかって出産。

産まれた子供は、うまく呼吸ができず(新生児一過性多呼吸だった)、NICUへ搬送。

私、運ばれる我が子を見送って、失神。

という壮絶な経緯を経て、無事(?)出産しました。

幸いなことに、NICUに運ばれた我が子は、3日ほどで出ることができ、特にその後大きな問題もありませんでした。

そうして迎えた、初めての育児

待望の子供はとても可愛かったのですが、命を背負っているという重責感がハンパなかった…。

24時間、昼夜問わずの授乳やオムツ替えも大変でしたが、例え赤ちゃんが寝ていても、ちゃんと呼吸しているか気になって、眠れなくなる始末。

少し慣れてきても、

  • 何一つ自分の思い通りにならない
  • トイレすらゆっくり入れない
  • まとまった睡眠を取れない

もうほんと、産後の1ヶ月は大変過ぎて、出口の見えない暗闇にいる心境でした…。

「寝たい」「少しでいいから一人になりたい」

と何度思ったことか…。

どんなに子供が可愛くても、24時間ひとときも気が休まらないのは、辛くないわけがないですよね。

しかも夫は基本的に激務で、朝7時には家を出て、平均帰宅時間は22時過ぎです。

必然的にワンオペになり、仕事に行く夫をズルいとさえ思いました。

どんなに忙しくても、トイレには一人で行けるし、ご飯だって座って食べられるからです。

それに、社会と切り離されている感じがするのにも、焦りを感じました。

このままずっと「ママ」という役割だけで生きていくのは、不安だったのです。

そのため、子供はとても大事ですが、社会人としての自分も捨てられず、最後の方には早く復職したいと考えていました。

そして念願かなって、子供が1歳の時に無事保育園が決まり、いよいよワーママとして復職することになりました。

そこで私を待っていたのが、壮絶なワーママライフと知らずに…。