こんにちは!ちいくんです。
私の詳しいプロフィールをご覧いただき、ありがとうございます。
このプロフィールは、全部で5章に分かれています。
- 1章:大学時代⇒留学⇒帰国後の就職
- 2章:激務の正社員時代⇒結婚⇒契約社員へ
- 3章:不妊・不育を乗り越え出産へ
- 4章:地獄のワンオペワーママライフ⇒離婚一歩手前に
- 5章:2人目を出産⇒人生の転換⇒在宅ワーカーへ
まずは、1章の学生時代や留学時代、帰国後の苦労した就職活動についてお話していきたいと思います。
軽い気持ちで、ぜひお付き合いくださいませ^^
将来を深く考えずに、自由気ままに過ごした学生時代
私はごく一般的な家庭に産まれ、特に不自由なく育ってきたと思います。
小さい頃から「世界ふしぎ発見」が大好きで、ミステリーハンターになることを密かに夢見ている、海外好きの子でした。
高校入試は90%以上の合格率だったものの、まさかの不合格。
そして、5%しか合格率がなかった大学に合格するというミラクルが起きます。
正直、大学に合格したときに、人生の運を全て使い果たしたと思いました(笑)。
この時はあまり深く考えていませんでしたが、今思えば、この体験があったからこそ、失敗しても浮上できるということを学んだのかもしれません。
そうして入学した大学の専攻は、「心理学」。
将来は臨床心理士になりたい!などと大層な思いを持っていたわけではなく、心理学は面白そうという理由だけで選びました。
良く言えば「直感」、悪く言えば「適当」です。
しかし、結果として心理学はとても興味深く、大学時代はかなり充実した日々でした。
そして迎えた就職活動の時期。
周りがいそいそと将来へ向けて動き出しているのを尻目に、私はというと海外へ留学することを決めたのです。
これもまた、単純に「海外で暮らしてみたい!」という夢があったからです。
とは言え、海外の大学へ入学するために努力していたとか、そういったことは一切ありません。
ただ、就職する前に行っとかないと、もう行くチャンスがない!と思ったのです。
就職は帰ってきてから何とかなると、完全に甘く考えていました。
今まで好きなように動いてきて、結果的に上手くいっていたので、就職しないことに対して不安はありませんでした。
結果的に、帰ってきてからとても苦労する羽目になるのですが、今でもあの時海外へ行く決断をしたことに、後悔はありません。
(ちょっと後悔した時期もあるのですが・・・笑)
人生は一度しかないので、やらない後悔よりやった後悔の方がマシだと、私は思うわけです。
視野が広がった海外留学
大学卒業後、半年間アルバイトをして資金を貯め、その年の9月に渡英しました。
アメリカではなくイギリスを選んだ理由は、「ヨーロッパに旅行に行きやすい」と思ったから。
そんな軽い気持ちで選んだのですが、私が学んできたのは「アメリカ英語」。
発音も何もかも違うイギリスの英語が全く理解できず、最初はかなり苦労しました。
しかも、よくあるホームステイではなく、大学の寮に入ることを選んだため、それはもう大変だったのです。
今思い出しても、よく頑張ったな、と・・・^^;
よく海外留学をしても、結局日本人とつるんでしまって、英語力が上がらないという話も聞きます。
私も日本人が多い環境を選んでいたら、そうなっていたかもしれません。
しかし、図らずも選んだ厳しい環境のおかげで、少しずつ英語力も上がり、海外らしい充実した生活を送れるようになっていきました。
まずは、
イギリスの片田舎にある大学の「外国人のための英語コース」で英語の勉強をし、
ロンドンに出て外国人用に専門学校に通い、「マーケティング」を学びました。
決して英語力が高くなかった私は、とても苦労しましたが、何とか卒業までこぎつけました。
日本にいたらあり得ないような目にもいっぱいあいましたが、とても充実した日々だったと、今でも思います。
外国人の友人もでき、根本的に考えや文化が違うとはどういうことか、深く理解できました。
海外文化の良いところ、逆に日本の優れていてるところも見えるようになりました。
自分の考えをしっかり発言したり、人と違うことを気にしないようになりました。
楽しいことばかりではなったけれど、間違いなく人生の糧になっていると思います。
そうして「努力は報われる」「やればできる」と信じていた私は、意気揚々と帰国しました。
・・・が、しかし。
日本で私を待っていたのは、厳しい就職の現実でした…。
そこで私の気持ちは、見事に砕かれるのです…。
新卒じゃないと就職できない!?
日本に帰国した私は、早速就職活動を始めました。
めぼしい企業を見つけては、応募しようとするのですが、
「あれ?応募できない・・・?」
そう、私はがっちり氷河期世代。
その時は、第2新卒なんていう言葉もなく、新卒でなければエントリーすらできない企業がほとんどだったのです。
となれば、中途で入社するしかありませんが、職歴が全くなく、海外でフラフラしていたような人間(少なくとも履歴書上は)を、雇ってくれる会社はなかなかありませんでした。
職を選ばなければ良かったのかもしれませんが、まがりなりにも海外でマーケティングを学び、面白さを感じていた私は、その経験を活かす仕事を探していたのです。
マーケティングに関わる仕事はないか、応募できる会社には片っ端から応募してみましたが、書類選考さえ通らない日々…。
面接までこぎつけても、「学歴があるやつに、使えるやつなんていない」と中卒の社長に嫌味を言われる始末。(←じゃあ何で面接呼ぶの…)
日本に帰ってきてからは、「皆と同じじゃないとチャンスさえない」状況に、お先真っ暗でした。
なぜあんなに簡単に「新卒カード」を手放したのかと、自分の無知さに腹が立つほどです。
→いやでも、海外に行ってなければ今の私はいない!
→だからってお金を稼げなかったら、どうしようもない!
こんな自問自答の毎日で、帰国時の高揚感はすっかりなくなってしまいました。
とにかく、何か仕事をしなくちゃ…と必死で仕事を探して、ようやく契約社員の職に就けたのは、帰国から半年以上経過した後のことです。
飲食店のプロモーションに関わる、営業のような仕事で、1年程度の契約の予定でしたが、雇ってもらえただけでも有難いと思いました。
しかもそれなりに名の知れ渡った企業だったので、一安心というところです。
・・・が、しかし。
なんとこの契約が、2ヶ月で打ち切られるという事態になりました。
もともと、他の企業と提携した事業を遂行するための、期間限定の社員だったのですが、その事業の計画が打ち切りになってしまったのです。
こうなるともう、どうしようもありません。
大幅な契約の変更だったので、多少の保証金はありましたが、あえなく契約終了です。
こうして初めて得た仕事は、わずか2ヶ月で終わりを迎えました。
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